みえないけどそこにある死

スカイプに来ていただけますか。


午前3時にツイッターからボク宛につぶやかれる。
何か分からなかったけど、嫌な感じはした。


チリさんが亡くなりました。


チャットでそう書かれていた。
ボクがスカイプに入ったのは少し遅れていたらしく、他の人にはもう内容は伝わっていた。
チリさんの彼女は一番悲しいはずなのに、見ず知らずのボク達に事情を説明してくれた。
もしかしたら説明することで気を紛らわそうとしたのかもしれない。


ボクたちの関係は一人のwebでの放送主からの知り合いだ。
全員ハンドルネームが個性的であり、また年齢も高校生から社会人まで様々だ。
ボクはオフ会などで実際に会ったことはないが、それでもTwitterなどで関係は続いていた。


彼の死をある人は、いたらぶん殴りたい。またある人は嘘であれば良いのに。
みんなの悔しさとも悲しさともとれる言葉がのっていた。


ボクは彼とはwebのみの付き合いで実際には会っていない。
だからかもしれないが実感があまりない。そしてそれに対する感情というものも不憫だとか、お気の毒に という何か客観的なものになっている。
それは日頃流れるニュースに対しての感情と少し似ている。東京の方に住んでからさらに事件との距離も近くなったが、事件の感情に関して言えばまだまだ遠い。しかし、チリさんとの違いがあるとすれば本人と関わったか、関わってないかだ。
その違いは大きく、同じような客観的出来事に見えて、何かひっかかるものがある。
画面の中でしか伝えられて来ないみえない死。でもそこにある確かな死。それは明確には意識できないけれど、確実に何かを植え付けた。


そして残念だけれど、ボクはこの出来事をいつか忘れてしまうだろう。顔も声も知らず、ハンドルネームしか知らない彼を。
だからこそボクはこの出来事を日記として残す。それがボクにできる彼を忘れないための一つの方法だから。