敬う心

なんであいつはいつもため口のくせに、メールでは敬語なのか。同級生で4年間もいたのになんやねん。
いつも楽しませる男が珍しく愚痴っていた。
どうやら明日の予定のやりとりをしている際、相手が敬語で終始返してくることに不満が溜まっているみたいだ。
彼が敬語が嫌いなのは前から知っていた。けれど、これほどまで態度が出るほど苛立つとは知らなかった。

そんなに怒らんでも。とボクが言うと、

だってな、いつもため口ねんから「じゃあ、明日頼むねー」とか、軽い言葉でいいのに、「明日お願いします」とか、妙な敬語使いやがる。思ってもない敬語使われるのが一番腹立つ。と彼は携帯を投げ、苛立ちを隠せない。


これは仮説だが、彼は敬語は建前という認識のようだ。
誤解のないように言うと、彼も年上に対してはきちんと敬語で話している。決して敬語を使わない訳ではない。
しかし彼にとっては形式の上で使っているのかもしれない。
その方がことが円滑に進むことぐらい誰もが知っている。
なるほど。そう考えると彼の言い分もわからなくもない。
一つのうすいオブラートが彼にとってはとてつもなく壁に感じられ、相手が自分のことを信用されていないと感じるのかもしれない。


確かに、ボクも敬語を、相手を敬うというよりは相手に失礼のないように。
また、自分が恥をかかないように。という認識で使っている。
そこには残念ながら敬う心は入っていない。
しかし、敬うには相手を大事にするという意味もあると思う。
親しき仲にも礼儀ありということだ。
今回のことに関して言えばいつも頼んでる側であれば、何回も頼むというのは何かとおっくうだ。
軽い気持ちで、何回もあてにし、ぞんざいに扱われると相手も嫌気がさすと思う。
そう思うと相手には敬語になると思う。
頼むことは一緒なのだけれども言葉で少しでも相手に対して不快を与えないように。
相手が大切ならば、なおさらだ。
こんな考え方はお人好しのボクらしいなんとも平和なのだけれども。


敬語が相手との距離を感じるものになっているのはボクもよく感じる。
しかし、親しい関係があるからこそ、敬語を使うべきこともあると思う。
一概には決められないけれど、彼の前ではできるだけ壁を感じさせないようにしようと思った。